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浅井卓司さん(イタリア料理 I VENTICELLI)

  • 2013.09.04

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●進化するイタリアン--イタリアン・スピリットを体現するシェフ●

 

このところ、この界隈に俄然増えてきたのがイタリアンのお店。なかでも、『I VENTICELLI』は、昨年6月のオープン以来人気を呼び、いまや雑誌やテレビなどに毎月登場するほどの話題店に。

 

シェフの浅井氏は、辻調理師専門学校、同技術研究所を卒業後、上京。イタリアンの名店、青山『サバティーニ』や大阪『カラバッジョ』などを経て、単身イタリアへ渡ったそう。約2年半に渡るイタリアでの修行を終え、苦楽園にオーナーシェフとしてお店をオープンした。

その前にまず『I VENTICELLI』をチェック→

 

 

--浅井シェフが手がける料理には、まだまだ日本では馴染みのないパスタなど、珍しいものが多い。また、繊細な野菜の扱いには定評があり、見たこともないような野菜を、知らずに口に運んで驚く事も少なくない。そしてまた取り合わせの妙が凄い。そんなアイディアは、いったいどこから生まれてくるのか、気になるところだ。

 

 
●アイディアの源泉

 

 

今、海外の野菜も随分日本に入ってきていますし、食材が出尽くしている感がありますね。でも、そんな素材を探そうとしても、市場では限られています。だから、僕が一番参考にしているのは、実は食材図鑑なんですよ。

 

食材図鑑なら、例えばある食材の成分やうまみ、生で食べられるのか食べられないのか、縦に切るのか横に切るのかなど、細かい事までわかるんです。そこからインスピレーションを得て、頭の中で食材を組み合わせていくんですよ。そしてそれを、これまで培ったイタリアンの技法や、食べてきたもの、見てきたもののフィルターにかけて、料理として成立するかどうかを判断していくんです。新しいメニューは、大抵そうやって生まれますね。

 

いつも新しいメニューのことばかり考えているというわけではないんですが、常に“疑問”を持っていることは確かです。例えば、鳥の出汁をとるにしても、基本のレシピにはタマネギと人参を入れると書いてあります。でも、なぜ入れなくちゃいけないのか? 入れなかったらどうなるのか? というような疑問を、常に持つようにしているんです。食材図鑑で、細かい成分などを調べることによって、そうした疑問をひとつずつ解決していくわけですね。

 

よくメニューが多いと言われるんですが、飽きてきたら変えている程度なんです。実は、定番のメニューでも、そんな勉強の中で、少しずつ進化させていっているんですよ。

 

 

--このお料理はどうやって作っているんですか?などと質問しても、「適当ですよ」と磊落に笑う浅井シェフ。しかしひとたび厨房に入ると、料理と対峙する様子は真剣そのものだ。浅井シェフがそもそも料理人を目指したのは、早くも高校卒業の頃だったという。

 

 

●シェフ・浅井の誕生

 

 

もともと実家がファッション系の仕事だったんです。実を言うと、最初はデザイナーになりたいと思っていました。でも、母の助言でデザイナーの夢をあきらめ、進路について考えていたとき、衣食住の衣に関わる両親、建築関係で住に関わる兄※がいる--ならば自分は、食に関係する仕事を、と考えたんです。

※浅井氏は4人兄弟。双子の兄は、芦屋のイタリアン『ラ・フォーリア』のシェフ。

 

その頃我が家には、外国人の来客が多く、一緒に遊んだり、時には悪さもするようなイタリア人の友人もいました。その友人の家に招かれて、イタリア料理を食べる事もあったんです。それに当時はバブルの絶頂期で、アルマーニのジーンズの山が3分で売り切れる時代。僕もイタリアン・カジュアルがすごく好きでした。とにかく、食も、ファッションも、それから、人間のいい意味でのいい加減さも好きだった。イタリアは僕にとって、とても近い国だったんです。イタリア料理の道に進んだのは、そんな理由だと思います。

 

というわけで、まずは辻調理師専門学校に進みましたが、卒業する年の次年度から技術研究所という大学院のようなものができることになりました。もし1期生になるんじゃなかったら、行ってなかったかもしれません。でも、1期生ならば、システムも確立していないだろうし、まだ自由があってこちらから色々なことができそうだと思って、親にお金を借りて進学したんです。

 

「自分は料理を作る事が好きなんだ」ということがわかり始めたのが、この頃だと思います。予想通り、授業などのシステムもその頃はまだ定まっていなくて、明日の授業で使うジビエを、前日の夜7時から下ごしらえさせられたりしてね。「早く帰りたいよ!」って思いながらやってましたけど(笑)。

 

料理の世界って、やればやるほど評価される世界だと思うんです。年齢も関係なくて、がんばれば上に行ける。下克上が可能な世界なんだろう、と。--なんて、今だから言えることかもしれません。その当時は夢中というか、ノリというか(笑)で突き進んでいた感じですが。

 

そして、本当に一生料理の道で生きていくのか、本当に好きなのかを確かめに行ったのが、イタリアですね。

 

 

●イタリアでの暮らし–食べる苦しみ、食べられない苦しみ

 

学校を卒業してしばらくは東京のレストランに勤めていたので、イタリアへ渡ったのは22歳ごろだったと思います。でも、感慨を覚える暇もなく、とにかく必死でしたね。持っていったお金も家を借りるのに使ってしまってお金もない、ビザもない、言葉もわからないのないないづくしですから。

 

しかも、勤めたローマのレストランでは、いきなり戦力にならなくちゃいけなかったんです。ならないならば、「いらない」と言われてしまう。そうなったらもう、言葉ではなく感覚の世界です。事前にメニューで最低限の料理のイメージを作り、あとは、現場でなにをどんな順番で入れ、どんな手法で料理していくのかを、盗み見して勉強しました。

 

楽しかったか? いや、もう必死だったから、わかりませんでしたよ。半年くらい経って、やっと言葉も少しずつわかるようになってきたある日、突然「今、ローマにいるんだ!」って実感したんです。本当にそれまでは、もう無我夢中でしたから、自分が今どこにいるかなんて、考える余裕もありませんでした。

 

お金が全然ないこともあってね。野生児のように、そこら辺に生えている雑草(野草)を水で洗って食べたり、公園の水道で空腹を満たしたり。どうしようもなくなったら、教会に行くんですよ。教会では乾パンみたいなものと牛乳をくれるんです。まあ、イタリアは道端に果物もなっているし、死ぬとは思わなかったけど…今思うと強烈な、ものすごい空腹感を味わった事は確かですね。だから、食べる苦しみも、食べたい苦しみも、わかるんですよ。

 

トランクたった2つが、自分の、財産というほどでもない荷物。それを抱えて、石鹸ひとつどこで買ったらいいかもわからない街で暮らして…歌にでも出てきそうなシチュエーションですね(笑)。荷物と言えば、向こうはステンレスの包丁がメインで、鋼のものを使っている料理人はほとんどいなかったんですよ。でも、僕は鋼のマイ包丁だけは持参していて。彼らにとっては鋼には刀のイメージがある。で、僕もまた、シューっと長い、いかにも切れ味のよさそうな包丁を持っていたんです。だから彼らは「あれは浅井の武器だ」と思ってたみたいですよ(笑)。

 

 

--紹介状こそあったものの、知人もおらず、言葉もわからない世界に飛び込んだ数年間。浅井氏のバイタリティを支えるものは何だったのだろうか。また、師匠と呼ぶような人物はいるのだろうか。

 

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●父の存在

 

 

もちろん、尊敬する料理人はたくさんいます。イタリアンに限らず、和食の方などにも。料理学校時代の恩師も尊敬しています。でも…師匠と呼べるのは、父かもしれません。

 

若い頃は、実はすごく苦手な人だったんですよ。父は、経営者として采配をふるってきた人で、嫌な事を絶対に後回しにしなかったんですよね。臭いものに絶対にふたをしないというか。大事な事を一方的に向こうから伝えるばかりで、しかもそれは2年後、3年後のことばかり。息子としてはそれがきつくてイヤだったし、消化し切れなくて困ったんですが…今になると、大切なことを教えてくれていたという事がよくわかります。魚を与えてくれるのではなく、魚の釣り方を教えてくれる人でした。

 

今の店でも、親父から学んだこと、というか親父のDNAみたいなものを、スタッフに伝えていければいいな、と思っています。

 

 


●I VENTICELLIの、浅井氏のこれからは?

 

 

新店舗のお誘いを頂く事もないわけではないんですが、現状ではまだ足並みがそろっていないし、スタッフに対してのレクチャーが充分ではないかな、と思っているんです。オペレーションができてから、と思いますね。なんていって、条件がいいお話があればわかりませんが(笑)。

 

店については、もっと個々がレベルアップしなくちゃいけないと思います。もっと、自分自身が納得しないと、ね。もっといい感じのお店にしたいんですけど…「いい感じ」ってどんな感じ?っていわれると説明できないんですよね、あいまいな表現なんですが。(笑)わかってよ、みたいなね。

 

オープンして1年半、僕らも進化してきたとは思いますが、まだまだもっと進化していきたい。やっぱりね、儲けたいなぁと思うより(思わないわけじゃないけど(笑))、長く店を続けるにはどうしたらいいのか、が先行していますね。最終的にトントンになればいいかな、と思っているんですよ。

 

これからですか? うーん…、あたりまえのことをきっちりやっていけばいいのかな、と。こうしたから、こうなったのかな、というような分析は、自分の中で考えながらやっています。判断するのは僕で、判断が間違っていても僕に帰ってくるわけですけどね。この界隈の人の味の好みがなんとなくわかってきて、それにすりあわせていくことも、またこの地域の地方性というのも考えていきたいと思っています。もちろんそれは、料理スピリットを変えるということではなくて、ニーズはニーズとして受け止めて、ボクの料理の領域を広げていきたい、ということなんですが。

 

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●最後に、Palashio読者へメッセージをいただけませんか?

 

 

あたりまえのことを、毎日きっちりやっていっていきますから、飽きずに来て下さい!!

 

--お店には、イタリア語で書かれた大きな辞書が置かれている。それが、浅井氏のバイブル、食材図鑑だ。営業中は店内に置かれているので、ぜひ、手に取って見てみて欲しい。手垢のついた、使い込まれたこの辞書を見れば、浅井氏の料理にかける思いがお分りいただけるかもしれない。日々、進化を続ける若いシェフの料理には、今後も期待できそうだ。

 


 

 

I VENTICELLI (イ ヴェンティチェッリ)

西宮市樋之池町24-16 アドール苦楽園1F
0798-74-0244
苦楽園口駅 徒歩15分

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